「―.く国性爺/浄瑠璃.国性爺合戦」
――を酢(す)にして食.う
恐ろしいものを何とも思わない。鬼を酢につけて食う。
「鬼を酢にさして食はんずる景気なり/盛衰記 37」
そして、『神』
――掛けて
神に誓って。決して。
「―うそは言っていない」「―間違いない」
――と仏は水波(すいは)の隔(へだ)て
神と仏とはちょうど水と波とのようにただ形が違うだけで、もとは同体である。
――ならぬ身(み)
全知全能の神ではない身、すなわち人間。凡夫。
「―では知るよしもない」
――の正面(しようめん)仏(ほとけ)の真尻(まじり)
〔「真尻」は後ろの意〕神棚は正面の高い所に、仏壇は陰に設けよの意。
――の存在証明(そんざいしようめい)
信仰における神の存在を、理性によって哲学的に証明すること。中世のスコラ哲学.近世哲学.キリスト教神学などにおいて試みられた。その形式により、存在論的証明.宇宙論的証明.目的論的証明.道徳的証明などに分けられる。
――の見えざる手
市場経済の自動調節機構をいう語。経済活動を個々人の私利をめざす行為に任せておけば「神の見えざる手」により社会全体の利益が達成される、というアダム=スミスの経済社会思想を示す語。
――は正直(しようじき)の頭(こうべ)に宿(やど)る
神は正直な人間を守る。
――は非礼(ひれい)を受けず
〔論語〕神は、神をまつるべきでない邪悪な人間がまつってもその心を受けない。神は礼儀にはずれた物事は受納しない。
――は見通し
神にはどんなことでも見えているから、偽ることはできない。神仏はお見通し。
――も仏(ほとけ)もない
慈悲を垂れ人を救う神も仏もいない意で、世間の無情.無慈悲などをはかなんでいう語。
最後は『蛇(じゃ)』と『蛇(へび)』
『蛇(じゃ)』
――が蚊を呑(の)んだよう
あまりに少量で、腹の足しにならないことのたとえ。
――の道は蛇(へび)
同類の者は互いにその事情に通じている、ということ。
――は一寸(いつすん)にして人を呑(の)む
蛇は一寸ほどのときから人を呑む勢いを示す。すぐれた人は幼少の頃から他人を圧倒するものがある。栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し。
『蛇(へび)』
――穴に入(い)る
秋になって、蛇が冬眠のために穴にはいる。[季]秋。《―時曼珠沙華赤し/正岡子規》
――穴を出(い)ず
春になって、冬眠からさめた蛇が穴から出てくる。[季]春。《けつかうな御世とかや蛇も穴を出る/一茶》
――に見込まれた蛙(かえる)のよう
恐ろしさに身がすくんで動けないさま。また、大敵にねらわれて、抵抗できないこと。
――の生殺(なまごろ)し
(1)半死半生にして放っておくこと。殺しもせず生かしもしないこと。
(2)物事を、決着をつけないであいまいにしておくこと。